懺悔アプリ


瀟洒な住宅街は音も無く、薄曇りの夜空に月が虚ろに浮かぶ。
眠りについた街に一際豪勢な家がある。
純和風の広い庭。真っ暗なリビング。中央に低いガラステーブルが置かれ、ソファには誰かが死んでいた。

深夜11時過ぎ。汚い部屋。あちこちにジュースの缶や丸めたティッシュペーパーが散乱し、体毛が混ざった埃が部屋の隅々に積もっている。
2月も半ばだというのに、部屋のカレンダーは10月から進んでいない。
男がパソコンモニターを見つめている。昔の同級生が子供と頬を寄せ、満面の笑みを見せている。
「別にオマエのケツが汚れるわけじゃねーっての」
スピーカーからボイスチェンジされた甲高い声が流れる。
高校を中退し、まともな職歴も無い。人生のありとあらゆることから逃げ続け、気が付けば30を超えていた。フリーターという名の無職。自分はなぜこうなったのだろう。このまま一人で死んでいくのだろうか。危機感は募るが何をするわけでもない。情けない。それは男が誰より分かっていた。
「すっげームカついたから痴漢にしてやりました」
世界最大の実名登録型SNS。世界中の人々が、毎日の充実を粘着剤に互いをへばりつけている。時折、思い出したように一方的な再会を果たす。かつては同じ場所にいた同級生たちは、皆立派な社会人となり多くは親になっていた。
「一緒にいた友達に協力してもらったから、周りの人たちもメッチャ信じてたわ」
一人の同級生が目に留まった。彼は現代アートのアートディレクターをしているらしい。
「ハゲ親父、超ビビってた。キャハハ。ハゲのくせに調子こいてんじゃねーよバーカ。もうしませ~ん、反省してま~す」
自分とはかけ離れた世界。惨めな気持ちになった。いつものこと。だが今日はとりわけ気落ちした。静か過ぎる夜だからかもしれない。
男は2つのサイトを閉じ、パソコンの電源を落とした。消灯し万年床に潜り込む。微睡むにはいつもより時間がかかった。

深夜二時過ぎ。男はまだ寝ていた。消し忘れたテレビから深夜ニュースが流れている。
「では次のニュースです。経済評論家の○○××氏が昨日、自宅のリビングで亡くなっているのを家政婦が発見しました。65歳でした」
この時間帯はニュースか通販番組の二択になる。
「○○氏は主に経済分野の論客として活躍。その主張の多くはその後現実となり、戦後経済界最大の知識人と称えられました。遺書などは見つかっておらず、重度の糖尿病を患い、今年に入り胃がんの転移が見つかるなど体調が芳しくなく、連載コラムや出演番組を降板するなどしていたことから、警察は自殺の可能性が高いとしています」
男は目を覚まし、いの一番に煙草を持って部屋を出た。パソコンの前で煙草は吸わない。男にとって3万円の中古パソコンでも高級品だ。
「……次のニュースです。最近、懺悔サイトと呼ばれる自分の罪を告白するウェブサイトが問題となっています」
無人の部屋に中年アナウンサーのよく通る声が響く。
「利用者が喋った内容を加工した上でサイトに保存。その後、投稿された懺悔は誰でも聞くことが出来るという、教会の懺悔室を模しているのが特徴です。しかし、実態は犯罪自慢や他人を貶める発言、個人情報を含む内容が投稿されていたりと、すでに多くのトラブルが発生しています。専用アプリも存在し、若者の間で急速に広まりつつある現状に……」
男はテレビを消すと、黒いニット帽とかけてあった黒いスノーウェアを着て部屋を出た。

気が滅入ると決まって散歩をする。いつもこんな真夜中にしか出かけない。他人が怖い。
N県M市。人口は4万足らず。お世辞にも栄えているとはいえないが、必要な施設は大抵ある。地元であるこの町を男は気に入っていた。
街を抜け、橋を渡り、男はいつもの公園へ来た。小高い山に道路が走り住宅地から市街地へと降りる。老人の散歩コースとなっているS山は、北にM市街、南にKヶ岳が望め、中程に広々とした公園がある。取り立てて何もないが春はソメイヨシノと八重桜、梅雨には100株の紫陽花が咲く。男はこの公園の豊かな自然、まるで人が寄り付かないところが気に入っていた。
「最近のスーパーのお惣菜は美味しいからね」
所々にまだ雪が残っている。夜のS山は真っ暗で、等間隔に設置された街灯がかろうじて道を照らしている。
備え付けられたベンチに座り、途中で買った炭酸飲料を飲む。耳にはスマートフォンから伸びたイヤホンがつけられている。
「だとすると案外悪いことじゃないのかな。正直、私の手料理よりも美味しいし」
S山は丘に毛が生えたような低山だが、曲がりなりにも山である。ベンチから見える景色は夜空に囲まれ、世俗から逃れたような錯覚を感じさせた。
「でも洗濯やゴミ捨ても忘れがちだし、やっぱり駄目だよね」
男は目を閉じて聞いていた。公園の中央にある公園灯が白く輝き、電球を包む丸いガラスに何匹かの虫が張り付いていた。
「旦那様、ゴメンネ」
懺悔アプリはどこぞの主婦の懺悔を流していた。何とかという韓国人俳優にハマり過ぎて家事が疎かになったことを懺悔しているようだった。
男はポケットからスマートフォンを出し選択画面に戻した。縦にリスト表示されている数々の懺悔。日付と時刻、再生時間がタイトルの代わりとなっている。
適当にスクロールし適当にタップする。スマートフォンをポケットに仕舞うと、首をぐるりと回し目を閉じた。近場の白熱灯が淡いオレンジ色に輝き、男の体は暗闇に薄っすらと浮かび上がっている。
「……私はとある評論家だ。様々な分野に論陣を張るが、主に経済に言及している。もし誰かがこれを聞いていたら、あなたは私を知っているかもしれない」
低いボイスチェンジされた声は、真夜中の公園で聞くには不気味だった。
「このようなサービスは21世紀的だと思う。この時代に生まれ合わせた幸運を無駄にせぬよう、私も若者に倣いここで罪を告白したい」
加工されていても分かるものはある。言葉の調子から恐らく中高年、性別は男性と思われた。
「告白しよう。私が口にしたことは全てデマカセ。何もかも適当に喋っていただけだ」
広場の奥に休憩用の小さなロッジとテラスがある。山の傾斜を利用して5メートルほど高い場所にあり、そこからの見晴らしは清々しい。昼ならKヶ岳が悠然と広がるが、今は遠くを走る点となった車のライトが、明滅しながら少しずつ動いているだけだった。
「例えば1年後、日経平均が6千円を割り込んでいる、そう言ったとしよう。根拠など無い。何となくそう思うだけだ」
暗闇と同化したような男。スマートフォンが股間に置いた両手の中で怪しく発光している。
「そして1年後、本当に株価が下がったとしよう。その時は自分が当てたんだと騒げばいい。誰も分からない時期に経済動向を当てた人物として話題になるだろう」
遠くから車のエンジン音が聞こえる。町へ近道しようと登ってきた車だろうか。
「外したらどうするのか。黙っていればいい。今から主張したとして結果が出るのは1年後。その頃にはどこぞの評論家の主張など皆忘れているさ」
言葉の終わりに嘲るような嘆息。恐らく自嘲だろう。
「適当な予言をし、当たれば思い出させるように大騒ぎし、外れたら黙っておく。これを何度も繰り返せば誰でも聡明叡智な評論家になれる。重要なのは不吉な予言をすることだ。誰もが不安に駆られ、聞かずにはおれないことを」
男は団子虫のように背を丸めていた。ただ座っているには2月の寒夜は辛い。まるで自信の感じられない後ろ姿は男の今までの人生を象徴している。聞いているのかいないのか、生きているのか死んでいるのか。
「そんなに上手くいくのかと疑問に思うだろう。無論、ある程度の知識は必要だ。ただ言うだけでは説得力が無い。あちこちから自説に好都合な情報だけを引っ張ってきて理論武装させる。少なくとも一般人が音を上げるくらい専門的なものがいい。大切なのは何だか分からないが正しそうと思わせることだ」
規則的に吐く息が霧のように消えていく。
「外れが多くなれば疑われるはずだ、そう思う人もいるだろうがこれにも対策がある。様々な主張や評論が単純な二元論なのはそれを大衆が求めているからだけではない。景気は良くなるか悪くなるか、この製品は売れるか売れないか。世の評論家は皆、二元論で有難い御託宣を告げる。コイン投げと同じだ。表が出るか裏が出るかは二つに一つ、適当に言っても半分は当たるんだ」
男は頭を垂れ、居もしない誰かに謝っているように見える。
「外から口を出すだけの連中は無責任だ。自分がやるわけではないから失敗の責任は負わない。彼らは大衆が喜ぶ実現不可能な主張を口にする。本当の専門家はそんな無謀は絶対にやらない、失敗すれば自分の首が飛ぶ。評論家の化けの皮が剥がれないのは、主張が実際に行われないほど荒唐無稽だからだ。実行、検証されない以上、間違いも証明されない」
冷えきった手足は凍りついたように動かない。男はまるで置物のように座り続けている。
「こういった手口は様々な分野で見られる。文化、芸術、科学でさえも……」
まだ懺悔は続いていたが男の意識には届かない。男はすでに夢の中にいた。夢の中で懺悔を聞いていた。
風が出てきたS山は、無数の雑木がざわめいていた。

真夜中の道を誰かが歩いている。住宅地を抜けてあぜ道を通り、暗がりにポツンとあった自動販売機でジュースを買った。山と田んぼを突き抜けるように二車線の道路が果てしなく続く。人気は全くなく、不気味に闇が広がるだけ。
縁石に座り炭酸飲料を飲む。右も左も車が来る気配はない。
男は丁度1年前を思い出していた。突然ブログを始め、時事のありとあらゆる出来事に噛み付き人気ブロガーになろうとした。多額の広告収入を得られ、社会不適合者の自分も勝ち組になれるはずだった。
なぜあんな夢を見たのか、今となっては思い出せない。